障害者
障害者
人生を、何を目的に生きるかという事は、大変に重要な問題です。
仮に、人間の生きる目的を種の保存だとした場合には、その事が叶わない人には、生きる意味そのものがなくなってしまいます。
私も、その場合の弟の存在意義が見いだせなくて、随分と苦しんだ時期がありました。
弟の将来はどうなるのだろう。
何の生産活動にも関われない。
何も創造できない。
弟は家族にとってのお荷物なのか?
弟が生きる意味とは、一体何なのだろう。
私は、真剣に悩みました。
「成功哲学」等のベストセラー書籍で有名なナポレオン・ヒルには、生まれつき耳の無い息子がいたといいます。
しかし、彼はその積極的思考で、息子の障害を克服する事に成功しました。
また、テレビ番組では、病気や事故による障害から不屈の闘士でカムバックされた方の、感動秘話が紹介されています。
ただ、そのような絶望的状況からの復活だけを、全ての障害者に求めるのは、酷だとも言えます。
障害者が健常者に近づくストーリーだけを求めようとすると、苦しみを生む事になってしまいかねません。
私の母親も、以前テレビを見た際に、冗談半分で漏らした事がありました。
頭を打ったら打ち所が良くて、突然治ったりすれば良いのにね。
と。
しかし、最近私が解ったのは、弟の生きる目的は、これまでも既に果たされて来たという事です。
家族皆で行った、旅行の楽しい思い出もそうです。
皆で食卓を囲む、ささやかな幸せの中にもありました。
弟をかわいがってくれた、近所のおばさん。
訪問販売に来る八百屋のおじさん。
遊びに来る従姉妹達。
皆やさしく、明るく、接してくれました。弟は皆の事が大好きで、大声ではしゃいでいました。ただ、それは子供の頃の私にとって、一方的な「ギブ」の関係のようにも思えました。
しかし本当は、皆もその瞬間に、弟の満面の笑顔で、「テイク」を受けとっていたのです。
そして同時に、
健康である事のありがたみ。
他人を思いやる気持ち。
人に優しくする事。
ひたむきに生きる事の素晴らしさ。
生きる勇気。
人生を生きる意味。
家族。
そういった事も、弟の存在にふれる事で、より深く考える事ができたのではないでしょうか。その事が、その人達の人生をより豊かにする、きっかけになったかもしれません。
弟は、賃金を得るような社会活動は一生できないのかもしれません。しかし、人の心に影響を与える事はこれまでもしてきたし、これからもしていく事でしょう。その事こそが、他の誰にも真似できない立派な社会活動です。
それが弟の生きる意味だと、私は思います。
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